明治九谷の特色

明治九谷の特色

明治九谷は、当初より、美術工芸品ともいえる、いわゆる作家物(優れた技能を持つ制作者と確認できる作品)とそうでない制作品に二分されていました。その理由を理解するために優れた制作品約80点を収集して観察してみると、それらに共通した特色があることがわかってきました。以下がその特色です。

① 多くの名工を育んだ明治九谷

明治九谷(ほぼ明治時代に制作された優品の九谷焼)は日本の磁器の歴史に大きな足跡を残し、その明治九谷を制作した陶工らも、その制作を重ねるうちに、優れた九谷焼を制作する名工として九谷焼の歴史に刻まれました。・・・・

・・・(続く)明治九谷の特色1.多くの名工を育んだ明治九谷・・・

② 日本画のような図案

明治6年(1873年)のウイーン万博では、日本から陶磁器・七宝・漆器などの伝統工芸品が出品されると、それらは諸外国から高い評価を得ました。しかしながら、明治9年(1876)のフィラデルフィア(1876年)万博に向け、明治九谷には日本画のような図案、・・・・

・・・(続く)明治九谷の特色2.日本画のような図案・・・

③ 輸出九谷の陶器商人

欧米との交易経験のなかった日本でしたが、「明治九谷」は輸出に牽引されて大きく発展しました。この輸出を牽引したのが陶器商人でしたが、その中で代表的な二人が円中孫平と綿野吉二でした。・・・

・・・(続く)明治九谷の特色3.輸出九谷の陶器商人・・・

④ 角「福」から「大日本九谷」ブランド

江戸期の九谷焼に書き入れられた銘は、角または二重角に「福」の字であることが多く、それは吉祥を願うためでした。ですから、名工らが活躍した再興九谷にあっても・・・

・・・(続く)明治九谷の特色4.角「福」から「大日本九谷」ブランド

⑤ 産業九谷の分業体制

明治期に本格的になった九谷焼の生産と販売は、素地の窯元、絵付工房(工場)の経営者、陶器商人などが協力するという分業体制に支えられ、国内外からの需要に積極的に応えることができました。・・・

・・・(続く)明治九谷の特色5.産業九谷の分業体制

⑥ 青九谷の再興

明治22 年(1889)頃、能美地方での赤絵の技術が最高の域に達する一方で、粗製品が横行し始めると、松本佐平は、明治26年(1893)頃に赤九谷と青九谷の双方を融合した「松雲堂風」・・・

・・・(続く)明治九谷の特色6.青九谷の再興