笠間秀石 金襴手十二支図花入れ

作品の解説

表面に六つの割取があり、その中に子、丑、寅、卯、辰、巳とそれに係る図案が謎解きのように描かれています。もう一つの花入れには午、未、申、酉、戌、亥とそれに係る図案が描かれていると思われます。

明治の名工らは高い教養をもって干支と関連する図案を作品にとり入れて、子孫繁栄、家の繁盛、故事などを意味する図案に仕上げました。

サイズ:口径 約4.2cm 胴径 約7.8cm 高さ 約17.6cm

“子(鼠)に米俵”は、ねずみが多産の生き物であるから子孫繁栄、米俵が五穀豊穣を祝う縁起物を意味していていることから、縁起の良いことが起こるように願っています。

“卯(兎)満月”は満月を見上げる二匹の兎が描かれています。月と兎を語った『今昔物語集』や月に兎がいるといった伝説などから、兎と月が一緒に語られることが多く、この組み合わせて描いたようです。

“丑(牛)と梅”は、梅好きで有名な菅原道真を祀る天満宮を思い起こさせ、さらに、菅原道真が「学問の神様」であることを踏まえて、技量の上達を祈願する気持ちを表したと思われます。合わせて、加賀前田家が菅原道真の末裔であると自称していたことも関連づけたようです。

“蛇と菊”は、重陽の節句(九月九日)に飲まれる“蛇スープ”に菊花が薬味(匂い消し)として使われた風習を制作者が知っていてこの図案になったと考えられます。

”龍と富士の峰”は、葛飾北斎も描いてる「富士越龍図」と同じ意味です。龍が富士山をも越え昇天する図案は家業の発展、家の繁栄を願って描かれました。

”寅(虎)に笹”は、虎が酔漢、笹が酒(女房言葉にあるそうです)を意味しているとされ、”虎には笹が付きもの”であったと考えられていました。古九谷にも「色絵竹虎図平鉢」がありますが、その意味は不明です。

秀石の屋号の一つである「三布堂(みのどう)」を入れたもので「九谷/三布堂」と書き入れられています。他に「九谷三布堂秀石」「秀石画」「加賀九谷製三布堂秀石画」などがあります。

作品の制作者

笠間秀石  生年? 明治28年(1895)歿

笠間秀石は越中屋平吉(1790-1856)の子として生まれ、赤で細描する技巧を誇った赤絵細描の民山窯の職長であった父から教えを受けたと考えられます。その後、笠間家(詳細不明)を継ぎ、笠間秀石と称しました。

明治10年(1877)頃から明治16年(1883)頃まで九谷庄三の門下で、庄三の高弟と称されるまでになり、庄三を補佐したといわれます。

明治16年の庄三の歿後、秀石は金沢に戻って陶画業を始め、赤絵、金襴手の作品を多く制作しました。そうした作品が評価され明治九谷の名工中の名工といわれます。

屋号の一つである“三布堂(みのどう)”の「三布」には、様々な布を組み合わせて新しい品物を作るという意味があるといいますが、「庄三風」の画風、父からの影響である民山窯の赤絵細描、そして自らの画法を織り込んで制作することに励むことを示したと考えられます。加えて、秀石が九谷庄三の高弟の一人として「庄三」の一字を屋号に含またと考えられます。

管理№ 18112405
展示開始年月日 2019.10.20
売却 検討中
備考