亀多山月の所蔵品と陶歴

亀多山月の所蔵品

① 亀多山月 赤絵金彩花鳥図小皿  十枚組

この作品は明治九谷の名工亀多山月が制作した赤絵の小皿十枚組です。明治初期の名工たちがこぞって絢爛豪華な大作を制作していた中、亀多山月が絵付した十枚揃った小品に大作の風格が感じられます。

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② 亀多山月 赤絵金彩松下人物図鉢

見込みには松の下で雅な貴人が遠望しているところを白い素地の上に多彩な絵の具で描かれ、側面に日本画風の筆遣いで“竹に雀”と“牡丹の花”が描かれています。

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亀多山月の陶歴

亀多山月(平次郎)  弘化元年(1844)生、大正5年(1916)歿

亀多山月は、安政元年(1854)、11歳の時、斉田道開の門下に入り赤絵細描を中心に修業し、文久2年(1862)に独立して陶画業を始め、「山月」と号しました。

独立した後も道開門下の陶画工として研鑽を続けたといわれ、明治8年(1875)頃から、亡き道開一門の頭取格として、初代 橋田与三郎らと共に「佐野画工十五日会」を主宰し、毎月15日には作品の“合評の会”を開いて、後進の育成に努めました。また道開の“朱赤”の発色の研究にも熱を入れました。

明治21年(1888)、44歳のときに荒川探令(後述)らから学んだ筆法を活かし、新たな画風を築いたといわれます。所蔵品の「赤絵金彩松下人物図鉢」にその画風が表れていると思われます。

朱赤の素晴らしい赤絵細描、金襴手を得意とし、七福神図や百老図に傑作がありますが、色絵竹林人物画のように青い彩りを加えた色絵もあります。

門人に亀田惣松、玉川清右二門、富田太郎松、亀田権次郎らがいました。

荒木探令(狩野探令) 安政4年1857-昭和6年1931

荒木探令が18歳のときに狩野探美に師事して狩野派の画法を学び、26歳には探令の号を許され、生涯を通じて狩野派の研究と復興に力を注ぎました。大正5年、常に狩野派の伝統的筆法を用いたことによって狩野姓を名乗ることを許されました。

荒木探令が陶画と係わったのは、26歳のとき、ドイツの化学者ゴットフリード・ワグネルと出会い、ワグネルの専属画家として絵付を手伝いながら、ワグネルの新製陶器の研究試作を手伝ったことに始まりました。それが白い素地に多色の絵の具を使って絵付し、その上にヒビの生じない釉薬をかけて焼き上げる「釉下彩陶器」の旭焼でした。

こうした経験をかわれて、探令は九谷焼の画質の改善や筆法について九谷焼の陶画工らを指導しました。その陶画工の中に初代 橋田与三郎、初代 須田菁華、米田五三郎などがいました。