友山堂製 色絵金彩百老図カップアンドソーサー

作品の解説

笹田友山はエッグシェル(卵殻手)の素地を使って無数の人物が描かれたカップアンドソーサーを制作しました。見る者にとってカップの白い内面に人物たちがぼんやりと透き通って見える文様のように見えます。友山はただそれだけで終わらず、エッグシェルの薄い縁には内と外を金襴手によって加飾しています。この作品には友山の表現の巧みさを余すところなく見せています。

当時の輸出された優れたテーブルウエアは、陶器商人が腕の良い陶画工を抱えた能美の絵付工房で製作されていたものが多く、金沢九谷の名工 笹田友山が制作したことは珍しいといえます。名工が制作したテーブルウエアとしては友山の弟子であった名工 八田逸山が制作したものがいくつかあります(展示済み)があります。

サイズ;カップ  口径 約5.8cm 高さ 約5.4cm   ソーサー 径 約11cm 高さ 約2cm

カップとソーサーの表面を覆っている人物図は“百老図”といわれます。その図は、中国・明時代の墨の表面にかたどられた図案の一つで、97人の仙人とも、哲学的談義にふける理想を追求した97人の人物ともいわれ、日本では水墨画に描かれ、画家によって顔つき、衣装、姿形、人数などを独自に変えられました。最初に陶画に取り入れたのは江戸末期に活躍した佐野九谷の斉田道開であったといわれ、明治になると、友山が活躍していた金沢九谷に広がりました。

この画題は欧米から“千人図”と呼ばれて欧米向けの輸出九谷に描かれるほど、日本の百老図よりもより多くの人物が細かに描かれ、それでいて一人一人の顔つき、衣装、姿形などに変化をつけ、加飾して、文様のように描かれました。ですから、友山のこの作品にも“千人図”のカップアンドソーサーと名付けられています。

明治初期において、欧米の日常生活で使用されたテーブルウエアは、超絶の技巧と華麗な装飾の溢れる大型の花瓶、香炉などと共に、数多く輸出されましたが、明治中期になると、 “より軽くより丈夫な”テーブルウエアの需要が陶器商人に寄せられるようになり、陶器商人はエッグシェルの素地を使ってその需要に応えました。

ただ、エッグシェルの素地は横浜の陶器商人によって使われるようになったといわれます。そのエッグシェルの素地(それに近いものか)がその後加賀で開発されたのか、素地を加賀に運んで絵付されたのかは不明ですが、笹田友山がエッグシェルの素地を使ってこのデミタスカップが制作したことに関心が寄せられています。

カップにもソーサーにも「大日本九谷/友山堂製」と書き込まれています。銘の形式から輸出九谷であったことが考えられます。

作品の制作者

作品の制作者については「笹田友山の所蔵品と陶歴」を検索してください。

管理№ 2009291A
展示開始年月日 2020.10.25
売却 売却済み
備考